Japanese / English
——『The Dream My Bones Dream』のリリースの際にインタビューをしたとき、「おそらく、もう歌のアルバムは作らないのかもしれない」と思ったんです。ご自身もそう感じていましたか?
毎回、「やめようかな」と思います。歌のアルバムを作るのは時間もすごく必要だし、エネルギーも結構使うし。他のアルバムを作るより一番疲れる作業だから、やっぱり毎回作り終わったときに「もう、これで最後だな」と思います(笑)。
——インストゥルメンタル作品を作るときは、そう思うことはないんですか?
「For McCoy」や「百鬼夜行 Hyakki Yagyo」は即興性も強く、その部分を多く残して編集もしているし、ミックス以外はほとんど一人で作っているから気楽な側面はありますね。日常の実験の中間結果みたいな要素が強いから。歌のアルバムももちろんそういうところがあります。ただ、今は、歌のアルバムを全体を通して聴く人がいないからこそ、わざわざ作るということはどういう意味があるのかを、あえてもっと深く考えたくなります。そうすることで、全体を聴き終わった後の感じが映画を観終わったような感覚に近づけるといいな、と思います。そういうつもりで作るので、参加してくださる方との調整もあるし、時間もかかるし、お金もかかる。お金にならないからやりたくない、というわけでもないんですけど、遠洋漁業にでも出るような気持ちなので、途中で投げ出したくもなります。
——今回も同じように大変でした?
そうですね。もっと気楽に作るつもりだったんです。もっと聞きやすい、BGMになるような歌ものを、と思ってたんですよ、本当は。でも、やっぱりそうならなかった(笑)。作ってるうちにだんだん重くなって、結局重たい作品になってしまいました。こんなはずではなかった、という感じですね。
——BGMといえば、何か参考にしたものはありますか?
ジュリー・クルーズのように場末のバーで漂っているようなアルバムを作りたい、と考えていたんですけど。
——その雰囲気は少しありますね。最初の曲「October」のヴォーカルとか。
そうですね。曲自体はそういう雰囲気があるかもしれません。ただ、心を投影して言葉にしていくので、そのとき感じている気分みたいなものがどうしてもだんだんと反映されてしまう。言葉をもし使わなければ、そういうアルバムが作れたかもしれないけど……、でもどうかな……。言葉を音楽に映していくことはいつも難しいと感じますね。
——歌詞を読んで、今世界で起きていることと向き合っているのではないかと感じました。アキ・カウリスマキ監督の映画を少し思い出しました。シーンの中でテレビやラジオからそのときに起きていた重いニュースが普通に流れているけれど…。
ストーリーとは関係してない。
——そう。でも登場人物が、その環境の中で生きていると感じさせる。今回のアルバムでも、似たようなことが起きているなと思いました。
そう言ってくださって、とっても嬉しいです。音楽を通して何かを訴える、ということよりも、そのとき感じていることや考えていることを別の何かに変換して表現することが私にとってはとても大事で。直接的な表現にはあまり興味がありません。それをやりたければ音楽でなくてもいいと思うので。
——今起きていることを完全に無視しようとすることはもっと不自然ですよね…
そうですね。それはとても不自然なこと。ガザのこと、ウクライナのことに限らず、知らないことが多すぎると痛感しています。最近ハン・ガンという作家の方の『少年が来る』を読んで、とても、とても素晴らしかったのですが、私は光州事件について恥ずかしいことに全く知らなかったんです。隣の国で自分が生きているときに起きた事件だったのに。
——そのような事件を知らないままで生きてきたと思うと、とても嫌な気持ちになりますよね。
そうですね。とても恥ずかしいと思いました。国家、宗教、人間の生活、それらが溶け合って、みんな一緒くたに同じ幻想や理想を持たなきゃいけない状態になると、そういう悲しいことが起きるのかなと思います。光州事件もそうですが、国家というものの中で暴力が正当化され、普通になってしまうことがずっと繰り返されているのに、それが終わらずむしろ酷くなっている。人間の不安な気持ちや恐怖が、集団意識や国家という枠組みをどんどん拡大させているのかなと。私たち人間の宿命は、互いに切り離すことのできない日々の葛藤の中で生きていくこと。でも社会的なことと個人的なことがあまりにも身近になりすぎたために、わかりやすさがデフォルトになってしまったような気がします。
——「The Model」で出てくるミシェル・フーコーの「十八世紀における健康政策」からの引用も、同じような気持ちで使われたのでしょうか?
岡部宏生さんとの出会いが、強く影響していると思います。岡部さんはALSの患者であり、日本ALS協会理事や会長もされていた方で、濱口竜介監督に紹介していただいたんです。音楽がとても好きで、ライブもよく見に来てくださいました。全身不随の体で全国のALSの患者さんに会いに行き、介助者の育成や、介助・医療のシステムの改善のために日々働き続けてこられた方です。岡部さんは安楽死についてよく語られていて、昨年行われた京都のALS患者嘱託死事件の裁判後も、記者会見をされていました。安楽死を認めてしまうことは、体が動かなくなっていった人間を社会で生きられない存在、生きていてはいけないものだとする優生思想に支配された社会へつながるのではないか。岡部さんはそう危惧されていて、私も安楽死の問題は他人事ではないなと思っていました。みんな遅かれ早かれ体は衰えていくんですから。幸せを求めてる間にうっかり戦争に向かっていくのと同じように、わかりやすい答えを求めているうちにうっかり優生思想に向かっていっているような気もします。
——フーコーを読んで、「ああ、なるほど」と腑に落ちたと。すごいですね。フーコーが書いたように、昔はチャリティが貧者を支援していたけれど、国がその責任を負うようになった結果、「人を区別しよう」という考え方が生まれたというのは印象的でした。
簡単に答えを得られるようなものに、人間はどんどん引っ張られやすくなっているのでしょう。健康と病気、正常と異常、有益か無益か。二項対立で結局自分たちの首を締めている。
——それにしても、急に曲の中で引用するのは珍しいですよね
引用することで、パラレルワールド感を出したかったのかもしれないです。
——パラレルワールドといえば、新作を初めて聴いたときに、アルバム『car and freezer』のような初期のバンドサウンドと何かつながりがあるように感じましたが、より幻想や妄想のような空間になっているとも思いました。意図的にそうされたのでしょうか?
そういうつもりではなかったです。最初はただ、漂える音楽を作りたいと思っていました。音楽自体が、最初にデモを作ったときから幻想的なものだったので、だんだん言葉が伴うことによって、ゴツゴツしたものになっていった(笑)という感じはあるかもしれない。でも、結果的にそれがよかったかなと思いますね。すごく幻想的な音楽を作っていたおかげで、リアルな言葉をむしろ使うことになって、バランスを取ろうとしたのかもしれません。
——「Mona Lisa」で「大量虐殺」という言葉が出てきて驚きました。「あ、なるほど……」と。
(笑)。「なるほど」ね。あのメロディーで「大量虐殺」って出てきたら、結構面白いかなと思ったんです。
——そして、「キャビア、シャンパン、コカイン、Tバック」をあんなに綺麗な声で歌われるなんて……。
あれはね、映画『タフガイは踊らない』の冒頭に出てくる要素ですよ、全部(笑)。あのシーンが大好きで、画面に映ったものをそのまま歌ってるだけ。ただ、感覚的に思い出したものがぴったりメロディーにはまると、とても嬉しいですね。『タフガイは踊らない』は本当にできるだけ多くの人にオススメしたい映画。
——歌詞を読んで、「墓場」という言葉が2回出てくることにもびっくりしました。
そう。大事な人を失うことが多くなったからかもしれない。あと前から墓場に行くのが好きなんです。墓場を見るのも好き。外国でも見に行ったりとかしてる。落ち着くんですよね。この前も、ジーナ・ローランズのお墓に行ってきました。ピーター・フォークやジョン・カサヴェテスも眠っているLAの街中にある墓地に。いろんな俳優がいて、ウォルター・マッソーのお墓もありました。それは楽しかったですね。「楽しかった」というのもあれだけど(笑)。
Eiko Ishibashi
Interviewer James Hadfield
Editor Tomoko Ogawa
Designer Mayu Matsubara
Production Yusuke Nanbu
Hair & Make Up Kenichi Yaguchi & Hitomi Suga
Photographer Taro Mizutani
Location yamayuri